× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 登場人物は二人きり。 そういう好奇心以外にも、ちょっと、映画『宮城野』には思い入れがあって。 2007年、私のプロディース公演が決まり、 どんな公演にも色々困難はつきものなんでしょうけど、 私にとっては有り得ない企画とタイミングで。 おめでたい私は勝手に、見えない力が だから、この映画『宮城野』には、
その、映画『宮城野』 映画というカテゴリーで一観客として観たり、 以下、ネタばれありで書きます。 おかよさんが、私の『宮城野』の中にあった人物そのままで。 写楽とおぼしき人物、これは全く想像と違いました! 映画『宮城野』は風変わりなつくりで、舞台っぽさもあったのですが やり手さんやお客人が登場人物としてあったことで、 矢太郎の愛之助さんは冒頭辺りの、 宮城野の毬谷さんは、言うに及ばず渾身の演技 21日は、一緒に行った吉田トミーや、友人にもよい映画だと言われて、
【戯曲は文学であるべきだ。文学としての戯曲には行間の神秘があって、全容がつかみきれない宇宙が広がっている】 これは、いつぞ目にした矢代静一さんの言葉です。(トークショーで毬谷さんも少し触れていました)
「女優が違うだけでこんなにも別作品になるものなのか! この言葉は、以前、他の『宮城野』を観たことがある演劇関係の方が、
戯曲『宮城野』はまさしく行間に神秘があって、全容がつかみきれません。 付け焼刃では演じられない(これもさる関西小演劇界の重鎮の言葉)『宮城野』だからの役者を観る楽しみ、物語の展開のおもしろさ。この戯曲に詰まったたくさんの魅力の中のひとつに、
より多くの方に、そういう『宮城野』のおもしろさも届くとよいなと願っています。 なんで、こんなことを書いているのかというと。 私は、日頃の行い良くまた『宮城野』の神様に好かれているので 21日に兵庫県立芸術文化センターで上映されたバージョンと 21日版は、トークセッションでの毬谷友子さんの言葉に、なるほどな、と深くうなづく、 トークセッションでは演出家の西沢栄治さんが
どちらも、よかった。 どちらを観た方も、いい映画に巡り合った方々だなぁと思う。 ただ、私には両方の世界を拝見できる幸運があった。 これから、どういう形で映画『宮城野』の上映が組まれるのかわからないけれど、 ***********************************
【追記】
映画『宮城野』のオフィシャルサイトや山崎監督のホームページを覗いてみると
今後、上演予定がどんどん入っているようですね
5月に新宿、7月に横浜で上映会予定。こちらは21日に上映されたバージョンでしょうか
6月に名古屋のミニシアター、「名古屋シネマテーク」にてフィレンテェ上映バージョン。
盛況、お祈りしています
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