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宮城野の日々
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東日本大震災から丸8年となりました。

今日は震災後にご縁をいただいた、福岡百子さんのサイトのご紹介をしたいと思います。

福岡百子さんは、8年前の今日から今まで、
ずっと個人で福島の支援をされている方です。

震災当時、多くの方々がそうであったように、
私も少しでも何かできることを、と思いました。

それは“支援”というのが申し訳ないほどの物資だったり、支援金だったりしたわけですが、
ささやかすぎることしかできないからこそ、託す先は慎重に探しました。

その中のひとつの託し先が福岡百子さんです。


福岡さんを介した、全ての支援がそうだったのかはわかりませんが、
私の場合は、福岡さんが届けてくださった先から
必ず、お礼状やらFAXやら留守番電話やら、また福岡さんご本人から
「支援いただいたお金は○○を買って○○に届けました」と連絡いただきました。


お一人、私とつながるまで電話をかけ続けてくださった方がいました。
電話のうしろではチェーンソーの音がしていて、
「いま、竹を切ってたんです」と言っておられました。

ささやかな支援物資をたいそう喜んでくれ、
先ほどと同じ訛りのあるイントネーションで
朗らかに、元気に「がんばりますから!」と。


私、田舎育ちなもんで。
電話の向こうの風景がやら、服装やら、笑顔やらがありありと想像できずぎて、
なんだか小さい頃から知っている、近所のおじちゃんみたいで
なんともいえない気持ちになりました。


今でこそ、ネット上に福岡百子さんのサイトがありますが
その当時の福岡さん自身には無縁の世界。
ご自身が被災者から聞いた生の声を、A4のコピー用紙に手書きでびっしりしたため、
毎回FAXで送って来られました。
多い時には10枚くらいはあったでしょうか。

今なお、福岡百子さんの姿勢は変わっていません。

福岡さんのサイトはこちらです。
https://momfukuoka.exblog.jp/
ぜひ、訪問してみてください。

今回、許可をいただき、2019.3.6付けでアップされた記事を
全文転載させていただきます。

どうか、一人でも多くの方にこの声が届きますように。



転載開始

*******************************************

福島の現実-福岡百子の声


2019年 03月 06日

ようやく暖かな春の陽射しが嬉しく感じられる様になりました。
 
冬の寒さで 身も心も縮こまっていた私達です。
 
暖かな太陽に向かって 両手を広げ 大きな深呼吸を 何度もし、 新鮮な空気とエネルギーを 沢山貰って 元気な良い一日を 始めましょう。
 
今日も[福島の今]を語らせてください。 皆様 福島に関心を 寄せてください。宜しくお願い致します。
 
[南相馬小沢地区]
農業の盛んな小沢地区は 、 町を上げて 農業の大企業化を 目標に 国から50億円の 貸付し、着々と計画は進み、これから各自に配区分する寸前に 津波が押し寄せて 、長年努力して来た 田畑の 大企業化の夢は、 水の泡、 50億円の借金だけが 被災者の肩にのり、被災者の苦悩は半端でなくなりました。
 
50億円の負債金、津波ゆえの天災なので国は免除しても良いのでは?と思うのですが(総理は海外に多額の出資をしています。外交上必要なのでしょうが、まず日本国内に天災で困っている人達にお見舞いに行って必要な手当をするべきではないでしょうか?と思います。)
 
今日、小沢町の人に尋ねました。
 
「国は負債については何も言わない。津波は東電には関係無いので、東電も国もお金は出さない。国は引越代だけ出してくれた。私は、自宅はローンで家を建てた」。
 
災害間もない頃に、小沢町の人と話すと皆暗い悲愴感が 漂い 落ち込んでおられ、 こちらも気の毒で何と話しかけたら良いのかと十分話せませんでした。
 
 
[南相馬小高区]
津波で 身内を失い 自宅を流された 小高部落の人の話です。
 
「 災害で皆、家族バラバラになりました。 ここは津波で 全身が身内を失ったり 家が無くなった人ばかり、 災害公営住宅に20世帯住んでます。 家族は誰も来ません。仕事場も店も何も無いからです。 居るのは 年老いた 親だけです 。病院も無い店も無い、何も無い所なので、生活するのに困っている。農地を計画したいが、年寄りばかりなので 農業する気力がない。 働く場所、生活の術が無いので 、若者は帰らない。野菜、 食料 何でも欲しい。」
 
* 農家の皆さん、 主婦の皆さん、 野菜や 食べ物を送ってください。 何でも結構です。
 
 
[飯館村]
被災地のどこの村にも フレコンバッグ( 汚染した土 が入った 黒い 袋)が 置いてあります。
 
「帰還困難区域の中に他町村等から搬入されたフレコンバッグが山積みされていて、置き場に限界が出ました。 そこで環境省と 役場 町代表者との集まりがあり、帰還困難区域も除染すると言う方向となり、 フレコンバッグの中から 放射線量の低い土を 農家の田畑に撒くという。その上を土で覆うと 大丈夫と言う。これ以上住民を放射能でさらすのか? 悲しみと辛さでやりきれない」
 
*(環境省の説明によると 汚染された土は、30cmの土で覆うと約98%の放射線を遮ることが出来ると 言ってます。)それが本当だと良いのですが、農作物の根は30cm以上深く伸びるのではないでしょうか? 私も 大丈夫だと言い切れないと思うのですが 心配です。また雨が降ったら土壌の土が流れて土は30cm保てないでしょう。大丈夫と言い切れるのでしょうか?
 
又、フレコンバックの土は、常磐道の高速道路に使うと言う事です。この汚染された土は、全国の至る所に使われる可能性があるかもしれません。大丈夫でしょうか?
 
 
[大熊町]
「車で常磐道を通る時、線量計が ピーピーピーピーと鳴り出します。判かっていても 身体は緊張しますね。放射能は風に乗って至る所に流れたのだから、日本全国各地に放射能 測定器 を 置いた方が良いと思う。至る所が高いのではないですか?高いのは福島だけではないと思う」。
 
 
[富岡町]
「私の家は富岡町で一番放射能が高い帰還困難区域です。この度復興省から連絡が入り、[自宅を半壊か全壊かを 測定したいので立ち会ってくれ、二人以上で来るように。]と連絡が入り 2月25日に 防備服を着て行って来ました。私の家は帰還困難区域で 立ち入り禁止の区域だぞ、これから先何十年も住めない家だぞ、今更全壊も半壊もないべ。 イノシシが 寝起きしてました。外壁もどうしようもない状態です。諦めるしかないべ。 行って来てがっかりした。復興省の人は 淡々と計量して 書いて行った。1ヶ月後に報告が来ると言う。あと2年で10年だぞ。今更半壊だ全壊だと言われても、しょうがないべ。 腹立ててもしょうがないべ。 諦めるしかない。」
 
 
皆様福島に対する関心は、世間では過去のことになり 、関心が無くなって来ているのを感じています。明日は我が身かもしれません。色々な事件・出来事が起り安心出来ない日本になりました。こんなに 不安な日本、親子の絆さえ 不確かな日本、弱者・子供・老人・病人が 大切にされない時代。 経済・経済、 お金・お金。
 
それは生きる上で必要なことかもしれません。しかし自然を汚染し、命を粗末にして、 弱者の苦しみを顧みない国は、国民のために尽くしていると言えるのでしょうか?
 
福島の為に ご支援いただけます方は 下記にご連絡くださいませ。
 
携帯 080-5547-8675 福岡百子
f.mom.1947@ezweb.ne.jp 

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by   藍田マリン
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